雨が降っても傘をささない。

薬と病気とアクアリウムとなんか色々備忘録。

体力のない私が、仕事をやめてから回復するまでの話。

漸く、漸く色々な整理がついたので。
言葉にして残しておこうと思う。




全国ではないがそこそこ店舗数のある小売業に新卒で入社した私は、入社5年目、2月に結婚した。
3月に、末端管理職から、エリアマネージャーの補佐になった。

その辺から狂い出した。

そもそも補佐になったのは、私が優秀だから、とかそう言うかっこいい理由じゃない。
女性の社会進出が叫ばれ、企業の女性の扱い方が徐々に可視化されてきている世間で。

既婚で、女性で、一応一定の社内等級がある人物を、地区で1人は補佐官にしましょう。

そんな事を当時の関東の責任者だか、私には預かり知らないくらい偉い人が、決めたから。らしい。



そのとき私は、給料が8割に下がる代わりに、土日祝日休み、10時19時まで、という契約で働いていた。
けれど、管理職用のPHSを持たされた。
お店は年中無休。
担当したエリアで、1番早い店は9時から。遅い店は22時まで営業していた。
当たり前だが困ったことがあると、私の勤務時間に関わらず電話はかかってくる。
加えて、顧客からの相談やクレームの電話は、緊急性が高ければ24時間かかってくる。
流石に毎日とは言わないけれど、夜中の2時やら明け方5時に電話が来ることもあった。
休みの日でも、急に出勤しなくてはいけないこともあった。

現場は、人が足りなかった。
今も、だけれど。

巡回の日以外は現場に出なくてはいけなかった。
現場は忙しいから、報告書やらのデスクワークをする時間があまりない。
でも家で、うつになった夫が待っている。あんまり長く残業はできない。
家でデスクワークをするようになった。

あっという間に、仕事とプライベートが曖昧になった。



他にふたりいた同地区の補佐はどちらも5年くらい先輩の男性で、私なんかよりもずっと、能力も経験もある方だった。
「上手に手抜きをすれば?」「報告書なんてもっと適当で良い」とアドバイスしていただいた。

でも、ほんとに私は手抜きが恐ろしく下手だった。
それに地区に溢れる問題を、人間関係の拗れを改善するのに、私は報告書にあげる以外の道が思い付かなかった。

いろんな疑問に答えることは出来た。
けれど、補佐には権限が全然なかった。
人事権がないから泣いている子を助けられない。
制度を変えられないから、根本的な解決はしてあげられない。

問題を吸い上げて、権限を持っている人に改善策を提案することはできるけれど、実行する権限はない。




私が補佐に向いていないことは、もう確実だったと思う。
何度も何度も、もう下ろしてもらおうと考えた。
けれど降りないでくれと現場管理者に言われたり、新卒の子に言われたり前任の先輩に言われたり、

………とか言いつつ結局、自分でなんだかんだと理由をつけて、降りなかった。



あっという間に2年経った。
梅雨頃、自転車に乗っていて、電信柱に衝突した。
そのとき漸く、左目の視野が欠損していることに気がついた。



病院にいって。
入院含め療養が必要ということになった。

その段階で、とりあえず補佐は降りようと思った。

けれどもう少し考えて、もう働き方そのものを、大きく変えてしまおうと決めた。

私が1番大切なのは、家族と己の健康だと再確認する。
けれど私は頼まれたらイヤと言えない典型的なお人好しで、かつ己のキャパシティを把握していないお調子者のアホだから。

ほんとうに大切なものに時間を裂くには、そもそも過剰な仕事を頼まれない契約にするか、会社をやめるしかない。


やめようと決めた、2017年の6月。