仕事をやめてから回復するまで:3
2017年12月。最後の出勤が終わった。
まず、それまで通勤で乗っていた原付を売った。
左目の視野も心配だし、やつも誰かに乗り回してもらう方が幸せだろうと思って。
2年しか乗っていなかったけれど、確か6000キロを越えていたと思う。
普通どれくらい乗るものかはちょっとわからないけども。
自分としては、店舗巡回を頑張った証のようで、感慨深いものがあった。
PHSも手放した。
ほんとうにほっとした。
お風呂以外で肌身離さず持ち歩いていた、
飲み会でもずっと首から下げていた、
映画館なんて寧ろ行けなかった、
鳴らなくても1時間毎に開いて確認していた、
やつを手放した。
手放した日はちょっと感動してケーキ食べた。
2018年1月、はじめて配属になる店舗の、
パートとして働きだした。
新しい店舗で働きつつ、
そこそこのんびり治療しつつ。
すぐに回復するかと思ったのに、心身に余裕が出てきたのは2019年になってからだ。
持病の治療に思ったより期間がかかったり、
肺炎やったりインフルエンザやったりノロやったり、
コミュニケーション弱者すぎて新しい店舗でなれるのに時間がかかったり、
ものすごく久し振りに厳しい上司が出来てびくびくしたり、
内省が方向を誤りすぎて自分をサンドバッグにする癖が抜けなかったり、
そんなこんなわちゃわちゃしているうちに、1年経っていた。
漸く今落ち着いて、
遊びに行きたいなとか、
旅行してみたいなとか、
もっと勉強したいなとか、
手抜きじゃない料理をしたいなとか、
趣味だった手芸を久し振りにやろうかなとか、
バラエティ番組をみてみようかなとか、
たくさん本がよみたいなとか、
そんな風にすこしづつやり始めている。
物理的に視野は欠損したけれど、
精神的には視野が広がってきていて、
捨てたもんじゃねぇなと思っている。
たまに、私ほんとに府抜けたな、一生懸命働いてる同期や上司に申し訳ないな、とか思うこともあるのだが、
友人に「DVから離脱し始めたばかりの妻みたいだよ」とか言われたので、あんまり思わないように訓練しているところ。
なので次は、一度自分の事をぜーんぶ棚にあげて、
何が辛かったのかを書こうと思う。